5/20/2005

Daruma-gama, a Kiln



Daruma-gama, the Daruma Kiln だるま窯




Visiting the Tile Museum in Kikuma, I came upon the above poster on the wall.

This is a special reduction-type kiln for making black roof tiles.
Because his from looks like a seated Daruma in meditation, it got this name. This type of kiln has been used since the Heian period and today is still active in three places in Japan. One of them is in Kikuma. This type of kiln can be fired from both sides and the smoke emerges from the middle part. Some also have two chambers, looking like a gourd, but are still called "Daruma Kiln".
More than 1000 tiles can be fired at once, but for quality tiles only about 300 pieces.


Below is a private one in Takahama Town. Mr. Takahashi used only pine wood to fire it. Now with environmental problems, other means of making tiles are used and this one now is only a museum piece of the town.



戦後の一時期までは、原料に松材などをもちいて瓦を焼くだるま窯が各地で使用されていたが、松材の不足、窯の手入れの問題、そして煙害からの近代化への対応などから重油、ガスを原料とした焼成窯に変わってきており、現在ではほとんどだるま窯を見かけなくなっている。ここ高浜でも一基だけ残っているが、現在では使用されてなく、市の指定保存物となっている。
高浜市:高橋さんのだるま窯
http://www.harima.co.jp/naval/trip/s11/36.html

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Diagram of a Daruma Kiln

A Daruma Kiln in Osaka

大阪市教育委員会と(財)大阪市文化財協会は、平成14年4月末から7月初めにかけて大阪市中央区和泉町1丁目で大坂城跡の発掘調査を行いました。この発掘調査において、達磨窯と呼ばれる9基の瓦窯を、市内で初めて発見しました。 達磨窯とは、16世紀に成立したと考えられる窯で、両端にある焚口から燃料をくべて瓦を焼きます〔左下図〕。横から見た形が座っている達磨に似ていることからこの名が付きました。発掘調査で出土した文字瓦〔右下写真〕などの遺物を整理した結果、これまで出土例が少なかった、大坂の陣(1614~15年)で荒廃した大坂城・城下町の復興の時期にあたる17世紀前半ころの窯であることが判明しました。
http://www.occpa.or.jp/ivent/toretate/daruma/DARUMA.html


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Great instructive Japanese link with pictures about such a kiln. It is a PDF file and takes a while, but is quite instructive. It also shows a diagram of the kiln.
http://www.kyoto-arc.or.jp/181.pdf



だるま窯(だるまがま)
古くから使われていた窯で、とくに いぶし瓦が生まれてくると、還元に便利な だるま窯が発達した。両側に焚き口があり、窯中央上部に煙突が付けられる。窯は粘土で作られている。だるま窯の場合、火力は下部から上部にのぼるため、下部で火力が強く窯の上部は火力が弱い。1回で1000枚程度焼くことができるが、上質なものは300枚程度である。
http://www8.ocn.ne.jp/~kawarak/tt.html#daru


還元窯(かんげんがま)
いぶし瓦を製造するのに、焼成の最後の段階で燻化し、瓦の表面に炭素の微粉をつきさすように付着させるが、そのための窯を還元窯という。以前は だるま窯 を使い、200~250℃で「あぶり」として10時間、さらに550~700℃で「中だき」として6時間、850~1000℃で「本だき」として2時間、同じ温度で2時間の「練らしだき」を行う。この段階で煙出し穴を閉じて、松薪、松葉などを入れて焚き口など全てを閉めて燻しを始める。炭素と水分が化合して炭化水素となり、瓦の表面に付着する。現在では重油のトンネル窯を改良した還元窯により、燻し瓦も大量生産されている。
http://www.kawara.gr.jp/more/kk.htm


豊川のだるま窯 Daruma Kiln of Toyokawa
1.だるま窯とは
 だるま窯(地上式小型平窯、俗称だるま窯と呼ばれる)の原形は平安時代につくられる。桃山時代には完成。当初は焚き口は一つで外観が達磨が座禅している姿に似ていたことから付けられる。桃山時代の発掘例には焚き口が2つ付いており、この頃にはだるま窯を2つ背中合わせに付けた窯となる。形は達磨と違う形になったが俗称が今日まで使われる。その理由は定かでない。
http://www.tcp-ip.or.jp/~amano-ta/toukai-sangyouisan03/toyokawa-darumagama2002.7.7.htm


深草瓦町をあるく Kawaramachi
ここが桃山城の瓦も焼いたという、瓦屋「寺本甚兵衛」 少年の頃の当主は、耳から白い毛を出していた、取っつきにくそうなおじいさんだった。 表の壁に柴がうずたかく積まれておいてあったが、その上やなかまで潜り込んで遊んだりして、よくおこられた。 出入りは自由だったようで、中に入って、瓦職人さんの仕事を見たり、「だるまがま」というのだったか、瓦を焼く窯の火入れを見たり、釜だしを見たりした。  「定賀さん」といういかにも職人という雰囲気のほとんどお話にならない職人さんがいた。 鬼瓦を作れるのはその方だけと聞いていて、すごい人だと思った。 その方は、この瓦屋の向かいの粗末な家に住んでおられた。
http://www.ne.jp/asahi/zouwata/1/sunpo/hurusato/kawaramati.htm

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だるま窯 -消えゆく伝統の技術-
Shoji Ishida
The Daruma Kiln, a traditon lost

 瓦を焼いた初期の窯は、山の斜面に穴を掘って造られた穴窯でした。この形式の窯が飛鳥寺や法隆寺近くで発掘されて保存されています。それが時代を経て、平地に造られたのが平窯です。手前に焚口があり、その奥に焼成室があります。焼成室の床には、火の通りを良くするためにロストルの役割を果たす畦が造られています。瓦を焼くこの平窯は外見がだるまが座ったような形であったので、だるま窯と呼ばれました。その後、なるべく大量に焼くことができるようにと二基のだるま窯を背中合わせにし、煙突も付けられて、今日のだるま窯の構造となりました。火室口と呼ばれる焚口が二つあり、瓦の出し入れは、横腹の戸口から行われました。

 だるま窯では、当初は燃料に薪を使用していましたが、明治のおわり頃から石炭が使われるようになり、戦後は重油、そして天然ガスが使われるようになりました。

 高浜市で最後まで残った高橋栄氏(田戸町五丁目)のだるま窯は、一九九四年一月まで黒瓦を焼いていました。一度に焼く七〇〇枚の桟瓦を焼く能力があります。瓦を焼くには、一般にあぶりから始めて本焚きに一二時間から一五時間、最後に松葉や松材を焚いて、燻すという還元炎焼成を行います。この燻し作業によって、燃料の炭素が瓦に固着して、瓦みごとな黒色に変色し、瓦の表面が一様に気密となって雨水の浸透を防止するのです。

 高浜市、最後のだるま窯は、道路整備により取り壊される運命にあります。三州瓦業発展の礎であったこのだるま窯、なんとか産業遺産として保存できないものかと思うのです。
http://www.tcp-ip.or.jp/~ishida96/ih-aichi/daruma.html

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The Development of Japanese Kilns for Tiles



江戸時代以前からの屋根瓦焼成用の小型の窯です。中央に瓦を800~900枚程度詰めることのできる空間があり、その両脇に一段低い炊き口をもち、正面から見ると達磨の姿に似ているところから“だるま窯”と名付けられました。この窯は現在でも、黒色のいぶし瓦を焼くのに使われています。

窯の表面の小さなすき間(土の窯なので表面に生じるクラックなど)を粘土で埋めてしまうことにより、窯の内部を完全に密封することができます。窯内を酸欠、すなわち還元状態にしておいて、さらに松葉でいぶすのです。3日間ほどかけて黒瓦を焼くそうです。

だるま窯と見られる瓦窯でれんがを焼いたとする記述は少なくありません。「円形ニシテ左右ニ素地出入口ヲ附ケ前方ニ焚口ヲ設ケタル瓦窯ノ丸キモノ」ですとか「ダルマ窯ト称スル恰モ我国旧来ノ瓦窯ヲ一方口ト為セシ如キモノヲ築キ」などの文面が見られます。

『煉瓦要説』という本によれば、だるま窯には1700~1800本のれんが素地を詰めることができたそうです。
http://www.maizuru.net/seizou3.htm


Mikawa Tiles production also used a Daruma-gama in former times.

三河地域は近世から だるま窯による瓦製造を行っていたが、1960年代に入りトンネルキルンが導入され本格的な大量生産、大幅コストダウンの時代に入っていった。さらに、機械業者や金型業者、釉薬業者など瓦を支える周辺業者との連携によって、他産地との競争に打ち勝った。
http://www.zofrex.co.jp/zairyou/kawara/index2.html

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More about the Tile Museum in Kikuma
http://home.e-catv.ne.jp/tour-ehime/kikuma.htm


The Gread Roof Tiles of Fish under Water
http://happyhaiku.blogspot.com/2005/05/illusions-with-fish.html


English Links about Roof Tiles
http://www.marble-tile.com/tile/japanese-roof-tile.html

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Handmade Edo Japanese Roof Tile, Daruma
late Edo period, c. 1800-1868.



http://www.jcollector.com/stores/hosoge/items/95632/en1jcollector.html

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Here is a flag with Daruma from Sumiyoshi Maru, a tile transporting ship, also on display at the tile museum in Kikuma.



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My Story about Mikawa Clay Daruma Dolls
http://www.amie.or.jp/daruma/Mikawa.html

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To the Daruma Museum Index
http://darumasan.blogspot.com/

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